コマーシャルに出演するキャラクターはどうしていつも大げさと思えるようなリアクションをせずにいられないのか? なぜ、テレビに映る食品の方がずっと美味しそうにみえるのか? ? ? これは不正な悪徳商法なのか、はたまた想像力をかきたてる単なる芸術的描写なのか? まずは、制作アシスタントの話から始めましょう。
私が映像プロデューサーのアシスタントとして働いていた時、監督が希望と興奮に満ちた面持ちで私を見てこう言ったんです。「ブルース、あのチキンパティは切り開いた瞬間、肉汁と香りがほとばしらないといけない。油が滝のように流れ落ちるショットをクローズアップで撮ろう。それが食欲をそそるんだ!」そうして、監督は再び居眠りを始めました。というのも、午前4時に映像撮影をしていたのはカメラマンと私だけ。血走った目を脂ぎった鶏肉に集中させるのがやっとの状態でした。(撮影隊はすでにくたくたで働ける状態ではありませんでした。)
後に、私が広告代理店のマネージャーになった時のこと、ある日私がこっそり煙草を吸っていると、クリエイティブ・ディレクターが私を送り出しながら、こう言ったんです。「ブルース、チキンパティにもっと油を塗るよう指示して。登場する時に〔流れる〕ではなく〔にじみ出る〕感じじゃないとね。」
それが食欲をそそるんだよ!」
そのため、口説いていたエキストラをしぶしぶ残して、「にじみ出る油」と「食欲」の間の明確な関係を示すロジックを考え出さなければなりませんでした。
私はチキンパティに油を塗りつけ、搾り出し、手を加えるように指示しました。
まるでダムが崩壊し、通り道のあらゆるものを破壊していくように、油が肉から流れ出ました。
数年後、会議に出席している時、あるクライアントからこんな意見が出ました。「なぜ油があまり出ていないのか?」少しも美味しそうに見えない… これじゃ、当社の製品を全く表現できない!」 「なるほど!ごもっともです!もっと油を滲み出させて広告を撮り直しましょう。結局は、それが食欲をそそるんですよね!」私はそう答えました。
フライドチキンが、注文されてから加工、フライを経て提供されるまでに数分または数時間がかかり、消費者の皿に乗った頃には、決してあんな風に見えないことは誰もが知っています。
もし、あのように熱々の状態だったら、舌のやけどで顧客から訴えられるかもしれないと不安になることさえあるでしょう。
では、コマーシャルに出演するキャラクターはどうしていつも大げさと思えるようなリアクションをせずにいられないのか?私は、アシスタントの時代から、私自身がクライアントになった今でも、「チキン撮影」の答えについて思い巡らしています。いずれにせよ、コマーシャルで見せられるものが本当に手に入ると考える人はいません。では、なぜ誰もがあんな無理をしてまで、ああいった効果を得ようとするのでしょうか?私は広告を学んでいた時、「消費者への訴求」は、市場的意思決定で最も重要な指標の一つだと知りました。そして、この分野で何年も働いたお陰で、消費者が見たいと思い、望んでいるのは、大抵の場合、大げさすぎるほどのメッセージなのだと分かったのです。
製品をあるがままに伝えるのではなく、例えば、「びっくりするほど」、「圧倒的な」味わいなど、製品を「神業のような」ものに仕立てる演出が、好感の持てる第一印象を決定づけ、消費者の注意を引くことになるわけです。0800のホットラインに電話をかけ、真実味を欠いたチキンパティを訴える消費者がいるかもしれません! ! ! ! とはいえ、芸術家が弁護する「抽象的パフォーマンス」は誰も告訴しようがないものであり、ましてや、ほとんどの人が精巧に作られた方を好むのは言うまでもありません。
製品の伝説化は、両者もしくは四者に有利な状況を生み出します。なぜでしょうか?
伝説的フライドチキンのコンセプトによって、クライアントは満足すると同時に暗示をかけられ、自社製品が本当にそれほど美味しいものなのだと思い込むようになります。
そして、広告会社はその製品が「素晴らしい」というメッセージを首尾よく伝達することができ、こうして制作会社は視聴者にもっと「はっきり」と製品が映るよう、「にじみ出る」効果を強調することは当然だと感じられるようになります。衛生的な問題がない限り、パサパサしたフライドチキンを本当に訴える人などいないでしょう。以上の理由から、チキンパティの伝説とその続編パート2、3、4の撮影には、十分過ぎるほどの根拠があるのです。
消費者はだまされていると言えるでしょうか?私も最初はこの業界に疎く、理想主義的な世間知らずなやり方からスタートし、こういった戦略が最悪なことのように思えました。しかし、製品の購入を促された後で誰もが満足する、満足していられるのだとしたら…それなら、製品に永遠性を与えるこうした演出は、結論として明らかな「悪意なき嘘」だと考えます。
同じことが下着のコマーシャル撮影の時にもありました。
一体どうしたら、女性がバストアップブラを身につけただけで、素敵な王子様に本当に出会えるものなんでしょうか?(広告に)「元気づけられる」ことと乗せられることは互いに無関係な問題だと思いますし、そうなる(コマーシャルのようなことが実際起こる)なんて誰も期待していませんが、皆コマーシャルを見るのが楽しみなのです。これで、この「悪意なき嘘」の目的は明らかになります。それは、クライアントが自社製品を販売するための、さらに多くの可能性を生み出す手段にすぎないということです。