日本写真界の巨匠―森山大道初の中国語版自伝作品
G!VOICEのおすすめ:
「ハイコントラスト、アレ、ボケ、ブレ、ノーファインダーの強烈なモノクロ撮影スタイル。これが森山大道作品に対する一般の第一印象です。自伝スタイルの本作品では、自身が育った環境や心のうつり変わり、さらには決まりきった社会の価値観や、型にはまった個性に対する反発などを細やかにつづり、また憂鬱で孤独な、あるいは自由でおおらかな世の中に対する思いをリアルに描き出しています。文章を通じて森山大道という人間について、そして写真の持つ本当の定義と写真家になるまでの完全なる心のプロセスについて、より一層理解が深まる作品です。」
「過ぎ去ってゆく時間、永遠に滅ばざるものがそこで待ち続けている。私は記憶を媒介として
とらえ、旅を続けている。あるいはこうかもしれない。追憶と悲しみを引き連れ、目覚めを待つ時間と出会う。写真は記録というべきか、記憶というべきか。記憶のつながりである歴史の過程であると同時に時間の化石であり、さらには歳月の神話である。写真は私にとって、傍観するということでもなければ、単純に美しい芸術作品を創造するためのものでもない。それは自ら経験し、見つけた、世界のとある一部分と私自身の生命とのある種の関わりであり、さらにそれら世界の一部分との精神上の偶然の出会いに思いをはせるといったことを追求するものである。ただ常に内省と時代に向けて自分の意志を表現するということの狭間にあり、どうにも身の置き所の無いジレンマを感じるのだ。」--森山大道
同時推薦 ドキュメンタリーDVD
日本現代アートの巨匠:森山大道≒Near Equal Moriyama Daidou
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内容紹介:
「私は直接ぶつかっていくスタイルで、カメラを背負って街に踏み込み、まるで野良犬のように、人と人との間をさまよう。こういったぶつかるエネルギーは益々強まり、作品に鮮明に映し出される……」--森山大道
日本写真界の巨匠 森山大道 初中国語版作品
80年代の伝記的フォト作品「犬三部作」の第一部『犬の記憶』
巨匠の世界に踏み込んだ代表的自伝。
2001年日本語版再版;2004年ハードカバー英語版出版;2009年中国語版感動の発売
荒く、そして強烈なモノクロスタイルの写真で、都市の人々の人生模様を赤裸々に記録。
写真の中のフレッシュさとエネルギーが、人の内にある強靭な生命力を表現。
その強烈な影響力で、あらゆる都会人の心を強く魅了。
自らを野良犬と称する森山大道。80年代から続けて執筆された『犬の記憶』、『犬の時間』、『犬の記憶──終章』の犬三部作は、巨匠の世界に踏み込む代表的自伝として称されています。その中でも特に『犬の記憶』が注目を受け、1982年に初版を出版。2001年に文庫版が再版され、現在までに10数度再版。さらに、2004年にはハードカバーの英語版が出版されました。
「写真は記録というべきか、記憶というべきか。記憶のつながりである歴史の過程であると同時に時間の化石であり、さらには歳月の神話である。」--森山大道
工芸高校を中退し、正式な教育課程を去った森山大道。彼は街こそが自分の学校であると強調し、自らの力で学び、写真界の大家となったその経歴は人々に語り継がれています。ハードなモノクロの撮影スタイルで、都市の荒涼とした一風景を切り取り、都市の人々の、孤独でドライながらも人との繋がりを持ちたいという思いを表現しています。その強烈な影響力で、あらゆる都会人心を強く魅了し、街頭撮影の巨匠と称されています。さらに彼の作品が示すフレッシュさとエネルギーが、人の内にある強靭な生命力を表現し、特に現代の日本および世界各地の若者に愛され、支持されています。
「私がこの世界に来て、私の人生を歩みだした時、自分が自分であることに対し、全く自信が無かった。それから徐々に自分が一つの独立体であるという自覚が目覚め、そう長く経たないうちに、ついに自分の五感と第六感が働きだし、さらに潜在意識の働きも共に活発になり、いわゆる記憶の様々な物と出来事とにつながりが生まれ、私自身の歴史というものを回想し始めることとなった。
1971年、私は青森県で野良犬の撮影を始めた。当時ちょうど宿泊していた旅館から大通りに向かう途中、一匹の犬が私の前を通り過ぎ、これがきっかけでその犬を写真に収めた。その時から、野良犬がずっと心に留まり続け、この写真は多くの人に強い印象を残した。私の作品としてまず連想されるのはきっとこの写真だろう。」--森山大道
犬の記憶、多くの人が感動したこの写真は、自らを野良犬の森山大道と名乗る彼個人の記憶でもあります。著書の中の20篇の奥深い文章は、彼の生活、仕事、家族、友人、愛情、旅で訪れた場所、都市や田舎をぶらりと歩いたこと……森山自身の人生の足跡を共有するものです。森山は記憶の中を探索しながら映像の中を巡り、文字を通して映像の中で交錯する記憶と真実、そして彼にもたらされた生命の意義を掘り起こします。
これらの文章は彼が撮影した詩的な味わい深いモノクロ写真と見事に融合しています。森山のつづる文章を読むことで、彼の内に宿る強靭な生命力を感じることができます。飾り気のないその言葉は、森山が都市の片隅を鋭く観察したものを赤裸々に表現しています。それは群集の中で昇華された一塊のエネルギーであり、まさに彼の言う「私は直接ぶつかっていくスタイルで、カメラを背負って街に踏み込み、まるで野良犬のように、人と人との間をさまよう。こういったぶつかるエネルギーは益々強まり、作品に鮮明に映し出される。」という言葉そのものです。
——博客来ネット書店より抜粋
作者紹介
森山大道
1938年大阪生まれ。もとは無名のグラフィックデザイナーであり、写真館にて偶然ウィリアム・クラインの出世作『ニューヨークニューヨーク』を目にし、衝撃を受けました。1961年に上京を決意し、細江英公のもとでアシスタントを務め、3年後に独立。
1968年自身初の写真集『にっぽん劇場写真帖』を出版。アーティストとしてのスタイルの強烈な印象を示しました。1969年の雑誌『プロヴォーク』にて頭角を現し、ボケ、ブレ、ハイコントラスト、アレが森山スタイルを代表する特徴となり、また日本の広告界でそのスタイルを模倣する一大ブームを形成しました。
70年代、森山は人生の整理期を迎えました。作品のスタイルは失意、絶望、重い抑鬱の表現へと転換し、満開の桜でさえ、森山のレンズを通すと鬱蒼とした重々しい姿に変貌しました。それは、評論家から自殺傾向にあると見なされるほどでした。陰鬱から抜け出すため、森山は日本デザイン界の巨匠、横尾忠則の誘いによりニューヨークへ赴き、異国の都市の中で自由に過ごしました。
80年代、森山は次第に低迷状態を脱し、『光と影』(既に絶版となり、2009年4月に講談社から新たに出版)の出版で、被写体と真っ直ぐに向き合う鮮明な意志を表現し、日本の評論家をしきりに驚嘆させました。メディアは大々的なタイトルで「ついに森山大道が帰ってきた!」と報道しました。
90年代から、国内外で頻繁にテーマ作品展および大規模な回顧展を開催。1999年にはサンフランシスコ近代美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館など、アメリカ各都市を巡回する回顧展、2002年にロンドンおよびニューヨークで個展、2003年フランスのカルティエ美術館で大規模回顧展、2004年から2009年までたて続けにケルン、アムステルダム、オスロ等の都市で個展開催のオファーを受け、日本では、この一年で既に10近くの展覧会を開催。
『遠野物語』、『新宿』、『大阪』、『写真との対話』、『凶区』、『もう一つの国へ』、『森山・新宿・荒木』などを含む、数10冊に及ぶ写真集、著書を続々と出版。近年、日本で1年に約2~3冊の作品を出版(再版も含む)。
—–博客来ネット書店より抜粋