▲2011年、許振栄(右一)が九天民俗技芸団を率いて台湾の神の人形三太子(中)を担ぎながら林義傑(左一)とサハラ砂漠レースを完走した。
ガマニア全体ミーティング
世界に台湾の声を聴かせる~九天民俗技芸団
団長:許振栄
映画『陣頭Din Tao: Leader of the Parade』で梨子が力強く飛び跳ね、「俺に付いて叩け!」と叫んだ有名な場面を覚えていますか。これは多くのこの映画を見た観客の熱い血の記憶であり、この一言は台湾人の伝統技芸の伝承への執着だけではなく、台湾の民俗芸能が世界へ向けて声を上げ続けていることも象徴しているのです!虚構の映画のストーリーのようですが、6、7割の物語はこの台湾で実際に起きた出来事です。そして映画の主役こそ台湾の九天民俗技芸団、許振栄団長の物語なのです。2013年第一四半期のガマニア全体ミーティングでは許団長を招いて講演を行ってもらいました。
『陣頭Din Tao: Leader of the Parade』映画予告:
普通の若者と同じように大型バイクが好きな許振栄は、サングラスをかけ、革のジャケットを身に着けて会場全員の注目を浴びました。この一風変わったいでたちのように許氏は自分のことを変わった法師だと笑いながら話していました。許振栄氏は台湾の民俗に関する産業に従事していますが、たいへん非凡な考え方を持っています。1995年に九天民俗技芸団を創設後、台湾の民俗技芸を世界の舞台に上げると誓い、台湾文化のイメージを代表する三太子の着ぐるみを担いで台湾を一周したり、太鼓を背負って台湾最高峰の玉山に登るなど、次々と困難な挑戦を展開しています。更に2011年には三太子の着ぐるみを担いで6泊7日で「四大極地スーパーマラソンツアー」のサハラ砂漠大会を完走したのです!常に自らに挑戦を続け、簡単にあきらめない台湾精神で九天民俗技芸団の知名度は徐々に上がっています。
▲2004年、太鼓を背負って台湾の主峰玉山に上る(左)。2006年に「文化の巡礼、太鼓を背負っての台湾一周苦行」を催して太鼓を背負いながら徒歩で23の県と市の文化局を巡回して公演を実施(右)。
▲九天民俗技芸団は2011年に摂氏40度の高温の下、サハラチャレンジレースを完走。強靭な体力と意志力だけではなく、強いサバイバル意識も必要である。
サハラ砂漠横断レース前トレーニングドキュメント:
サハラ砂漠横断レースドキュメント:
九天民俗技芸団の公演は、許団長に率いられて当初の台湾の縁日における陣頭パフォーマンスから芸術文化公演のレベルにまで進化し、台湾での上演から米国、カナダ、日本、韓国、アフリカなどの世界各地に広がっています。当時の許振栄氏の夢が一歩ずつ実現しているのです。
▲2012年、九天民俗技芸団の太鼓上演と神々の着ぐるみによる芸能陣頭がニューヨークのリンカーンセンターで上演され、彼らにとって新たなマイルストーンとなった。
ニューヨーク・リンカーンセンター屋外芸術祭の上演ドキュメント:
許振栄氏は生きている限り学び続けることを皆に勧めています。彼は自らそれを実践して40歳でEMBAを取得し、さらに台湾で最初の「陣頭博士」となることを志しています。九天民俗技芸団創立のモットーは少年たちに温かい家庭と正確な方向、そして明るい光を与えたいということです。一般の人々が持つ陣頭に所属している子どもたちは不良少年である、というマイナスイメージを覆すため、許団長は団員たちに対し、基礎教育を受ける規則を定め、さらには品格教育を学ばせ、団体の規律を厳守することを要求し、九天民俗技芸団を台湾で最も学歴の高い陣頭としようとしています。
許振栄氏は、「夢の終わりはもう一つの夢の始まり」と考えており、九天民俗技芸団は多くの困難な挑戦を果たしましたが、夢が止まることはなく、九天民俗技芸団はこれからも努力を続け、台湾の声を世界に広げていきます。
▲許振栄氏は台湾伝統文化への堅持と熱情で台湾の声を世界に伝える。
九天民俗技芸団-スポンサー募集ビデオ: