携帯電話が紙に代わる時代がもう来ていることは分かっています。しかし私はテクノロジーが大嫌いなのです。だからiPadやiPhoneは昨年ようやく使い始め、今使い始めてまだ5か月になったばかりです。この5か月間はびくびくしながら暮らしていました!なぜかって。それはこれらのデジタルデバイスを使い過ぎた結果、いつもスクリーンに向かって笑い、素早く字を書いている所を妻に見られたくないからです!!だから妻はある日夜中に泣きながら私を揺り起こして、私が浮気をしているのではないかと聞いてきたのです!!
ああ、ドラえもんのポケットを持つという夢はもうしばらくしたらスマートフォンで叶うかもしれません。スマートフォンは生活をより便利にしました。しかし、新しい面倒も増え、何かを失くしたような気もします。
最近私は学生生活に戻っています。仕事の他に短期間の研修にでています。こんな年になってかなり慌てているのは、iPhoneに頼らなければあの若くてたくましく、記憶力の良いクラスメートたちには絶対勝てないからです!!本は重過ぎ、私は五十肩になってしまいました。だから私は講義の際には教科書を持って学校に行くことはせず、家で先に携帯電話で今日講義で学ぶ部分と試験の内容をを撮影してから、鉛筆とノート、携帯電話をもって講義に出席するのです!講義で分からない単語が出てきたらすぐにインターネットの辞書で調べ、聞いても分からない文法が出てきたらすぐにGoogleで調べます。ホワイトボードの文字を書き写すのが間に合わない時はちょっと恥ずかしい思いをして自分より18歳も若いクラスメートから借りることなく、直接「ハイ!」の一声で余裕たっぷりに携帯電話で撮影するのです(私が台湾で買ったiPhoneは、写真を撮る時に『パシャッ』というシャッター音がしないため、現在日本のクラスメートに大人気です)。
もし、コンディションが悪くて講義に集中できない時は、携帯電話で教師の講義内容を録音し、電車で通勤する時にもう一度学びます。
スマートフォンは学習する上で本当に大きく役に立っており、素早く、また繰り返し学ぶことができます。さらには文章を書くこともこれまでのように一杯のコーヒーとパソコンの前にぼうっと座っているだけではありません。今では通勤電車の中で、トイレで、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の試合を見ながら、眠れない時など、思いついたらすぐに携帯電話を起動させて書き始めます(文章を書きながら笑うので、私が絶対に浮気していると妻が疑うのも無理はありません)。
以前、授業の時に必ず見られた「メモラブレター」は今では見られなくなっています。メモは何人もの間に手渡されるため、誰が誰に渡したか容易に調べがついてしまい、放課後に皆の話題となってしまいます。今日の英語の授業のピンク色のメモは誰が誰に渡したものだ?メモの折り方は?女子は大泣きしていなかったか。……などなど、ある種の楽しみでした。しかし誰もがLINEを使っている今、もうメモは手渡しされません。授業中誰もがLINEを使っており、皆同時に笑ったり、ぼうっとしたりしているので、誰と誰がアヤシイ関係にあるのかなんて、誰にも推測できません。
テクノロジーの利便性は多くの伝統的なグッズにとって代わりました。例えば、教科書は大スクリーンの携帯電話に代わり、メモは写真に代わり、ラブレターはLINEに代わったのです。人と人との間の関係、人と生活経験との間の関係がテクノロジーによって引き寄せられてから便利さは増しましたが、深みが少なくなりました。ラブレターの文字が書き換えられた痕や皆が手渡しに協力した時に作られた折り目はAPPのFlashのハートマークに取って代わられました。ホワイトボードを必死に書き写してだるくなった手は500万ピクセルの携帯電話のカメラのレンズに取って代わられました。私が長期出張をした時の家族への思いはSkypeのリアルタイムVideo通話に取って代わられました。テクノロジーの急速な進歩は良いことですが、時に立ち止まって考えると、ちょっとした寂しさがあります。まるで何かを失ったかのような。
次に紹介するのはトイレットペーパーの広告です。トイレットペーパーが取って代わられることのない原因がはっきりと指摘されています。ちょっと面白いのは、私の暮らしの様子にかなり似ていることです。私と妻が寝る時、彼女の手には小説が、そして私の手にはiPadが……。
作者の紹介
Bruce
かつて国内外のテレビ広告の制作、映画の発行と映画館へのマーケティングを担当し、電通北京支社のクリエイティブピッチチーム、
ガマニア社内ディレクター、及びガマニア日本商品開発部課長も担当。